鶴岡八幡宮

 

 

 

鶴岡八幡宮で印象に残ったのは入り口に立つ見事な松の木(写真)と「舞殿」でした。帰宅して、ネットで調べてみると「舞殿」にまつわる、義経の妻、静御前の話が更に印象を深くしたので下記に写メしておきます。

舞殿は、本宮がある石段の下にあるので、下拝殿(しもはいでん)とも呼ばれています。
舞殿がある場所には、かつて、若宮の大きな廻廊がありましたが、1191年(建久二年)3月の鎌倉大火によって消失してしまいました。
しかし源頼朝がすぐに再建にとりかかり、2年後には現在の舞殿が完成しました舞殿は、2月の節分祭、5月の菖蒲祭、7月の七夕祭など、鶴岡八幡宮で行われる多くの行事で、祈祷が行われたり、舞や雅楽が奉納・奉奏されたりする場所です。
中でも有名なのが、4月の第2日曜日に開催されるかまくら祭の際に披露される、「静の舞」です。

静(静御前)は、「牛若丸」としても知られる、源義経の愛妾(あいしょう)です。
京の白拍子(しらびょうし)で、舞の名手でした。
白拍子とは男装をして今様歌などを謡いながら舞う人のことです。
義経に気に入られて妾となり、1185年(文治元年)、兄の源頼朝と不仲になった義経が追手から逃れるため九州に向かう際にも同行しました。
しかし途中で義経が行く先を心配し、ふたりは吉野で別れ、静は京都へ帰されます。
そして京都へ向かう道中で静は捕らえられ、母の磯禅師(いそのぜんじ)と共に鎌倉に送られてしまいました。
この時静は既に、義経との間の子どもを身ごもっていました。

鎌倉に送られた静は、1186年(文治二年)4月、源頼朝・北条政子夫妻の求めに応えて、鶴岡八幡宮で舞を披露することになりました。
静にとって、愛する人の命を狙っている頼朝の求めに応じるのは非常に屈辱的なことなので、しばらくは拒否していましたが、とうとう断り切れなくなったようです。
舞台は若宮の廻廊で、現在舞殿が建っている場所だったと言われています。
静はそこで、以下のように謡いました。
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
吉野の山で別れた人が恋しい、
静、静と繰り返し呼んでくれた人と穏やかに暮らした過去が戻ってくれば良いのに、という内容です。
静の美しい踊りと歌は、見ていた者を感動させましたが、名前を出さなくとも、頼朝に逆らった義経について謡ったということは明白です。
幕府の繁栄を祈願する歌を期待した頼朝はもちろん怒りましたが、妻の政子は静の思いを理解し、「私が彼女と同じ状況だったとしても、このように謡うでしょう」と言って静をかばったといいます。
この時の静を偲び、かまくら祭の際に鶴岡八幡宮の舞殿で披露されるのが「静の舞」です。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です