革命と年齢?

先日Youtubeでフリーマンダイソンというイギリス生まれの物理学者の回想録を見ていたら、面白い話が出てきました。タイトルは「古い理論で説明できることをオッペンハイマーに説得」というものです。ちなみにオッペンハイマーは原爆開発のリーダーを務めた物理学者で、理論物理でも様々な功績を残した人です。

さて少し背景を書きます。

1920年初頭、物理学の世界では大きな革命が起きました。当時古い理論では説明できない現象が多数見つかり、理論物理学者たちはその解決方法を探していました。そして革命がおこります。「量子力学」の発見です。この理論はそれまでの常識からかけ離れた内容で、当時多くの物理学者は理解でなかったそうです。

発見の中心人物は少年物理学者と呼ばれていた若い人たちでした。例えばパウリやハイゼンベルクは20歳代前半でした。一方当時50歳近かったアインシュタインはこの理論に最期まで抵抗していました。

そして20数年後の1947年、「ラムシフト」と呼ばれる量子力学(場の量子論)では説明できない実験が現れました。この時の中心人物もやはり若い人たちでした。例えばシュウィンガーとファインマンはともに29歳です。フリーマンダイソンは24歳。

彼らの発見した理論を一言でいうと、量子力学バージョン2です。彼らは1920年台に発見された理論に修正を加える手法を取りました。一方、パウリ、ハイゼンベルク、ボルン(オリビア・ニュートン・ジョンのお祖父さん)、オッペンハイマー、湯川秀樹、ボーアなど1920年台の革命を経験していた物理学者はより大きな、そして根本的な修正が必要だと思っていました。自分たちが目撃した革命、もう一度です。

その後の評価は、若者たちの手で行われた理論の修正が正しく、当時中年だった物理学者が提案した「革命的な理論」はことごとく否定されたのです。

1920年台とは逆のことが起こったわけです。(若者が勝った点は別として)

ここまで書くと中年世代はがっかりするはずです。しかし何事にも例外があります。そう、日本の物理学者、朝永振一郎博士です。当時彼は40歳を過ぎていて、それまで大きな功績をあげていませんでした。(当時も今も40歳を過ぎるまで業績のない理論物理学者は業績を上げる可能性がない、と思われています)しかし中年物理学者であった彼はこの理論の発展に大きな業績を残しました。

それだけではありません。さらに凄いのは世界で唯一、戦時中、それも新しい理論発見のきっかけとなったラムシフトの実験が現れる前に、シュウィンガーよりもより洗練された理論を、西洋から隔離されていた日本で発見していたのです。

1947年にラムシフトについての記事を米国の一般週刊誌で知った日本の物理学者たちは、朝永理論(超多時間理論、のちに繰り込み理論に発展)の正しさを示す実験結果に興奮しました。そして世界にこの業績を知らしめるために彼らの論文を英訳し、オッペンハイマーに送りました。ダイソンもその論文のコピーを読み、とても驚き、興奮したようです。(実際このビデオ以外でも彼の著書の中でこの驚きを書いています)

ダイソンはその論文集(黄ばんだわら半紙に印刷されたProgress of Theoretical Physics)を手にして、非常に驚きました。そしてその直後、朝永、シュウィンガー、ファインマンの理論が同等であることを解説した論文を発表しています。論文のタイトルにある3名の名前の先頭は朝永博士です。

ちょうどそのころ朝永博士は東京文理科大学(現、筑波大学)の教授で、物理学を教えていました。ある授業の最終日に少年物理学者たちが大きな業績をあげたときの年齢と、中年以降に業績を上げた数少ない例を黒板に書き、

君たちはこの年齢に近い。がんばりなさい。私はこちらの年齢にちかい。だからがんばる。

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